小さな奇跡~もう一つの小さな奇跡Part32011/07/24 16:56

順序からいうと、Part2なのだけど、
記憶の新しいpart3

1年前にさかのぼる。Gさんの弟、40数年前に
東京女子医大へ手紙を持っていってくれたRちゃんを
かわいがってくれていたおじさまが
急逝し、葬儀は聖公会の病院のチャプレンによって
おこなわれた。故人をしのびチャプレンと話すなか
チャプレンが勤めておられる教会がある病院に心が
動いた。そのときはそれだけの出会いだったのだが、

年があけ、Rちゃんの体調は思わしくなくなってきて
入院退院の繰り返しが続いていた。「2才までといわれた子が
ここまで生きてきたんだから。」と、暗に言われたこともある
が、「このままではいけない。」と祈り求める中
Gさんは、ふとチャプレンのことを思い出し、
お勤めの病院の著名な医師へ紹介をもとめる手紙を書く。
チャプレンにも何かが働き、日本では知らない方はいない
H先生に手紙は届けられ、先生から先天性心疾患の専門医へ
紹介が行く。セカンドオピニオンでもいいと思っていたのに、
気がつけば現在治療にあたっている医師と相談がかわされ、
上京し診察を受けることになった。

医療救急車に寄る、移送、セカンドオピニオンのやりとり
や、医療機器、医療技術、すべては進化していて
その恩恵はRちゃんの成長のために用意されてきたようだった。

小さな奇跡~もう一つの小さな奇跡Part12011/07/24 14:54

私は小さな奇跡とか業とかいう言葉使いすぎ!
でも、ペピーノがヴィオレッタのために奇跡をおこしたように
奇跡としかいいようのない業をなした一人の女性のことを
どうしても記しておきたい。

約50年前、Gさんに女の子の一卵性双生児のRちゃんMちゃん
が誕生した。幸せ一杯ななか影をおとしたのは、Rちゃんが先天性
の心疾患がありチアノーゼや様々の心疾患の症状に苦しみ
「2歳まで生きられないでしょう。」と宣告されたこと。
懸命に子育てや看病を続ける中での母親としての思いは
どんなだったろう?時がそれでもすぎていくなか、
本の小さな雑誌の記事にふと目をとめたのは、東京女子医大で
今では知らない人はいない榊原教授が日本ではじめて心臓の
開胸手術を行ったという内容だった。

Gさんは、そこで手紙を書く。Gさんの弟さんが検査の結果や
手紙をもって、わずかなつてを頼って東京女子医大の榊原教授
に相談にいく。そうして、「覚悟してください。」といわれたが、
Rちゃんの手術は実現する。おそらくは、子どもの手術の症例は
まだヒトケタぐらい、けれどGさんは自分にもたらされた情報を
手紙に真摯に対応してくださった、医師たちを信じた。
Gさんには、東京に何人かの兄弟妹がいて、Mちゃんの世話も
助けあってくれた。

そうして手術は成功しRちゃんは1回目の奇跡により
2才までといわれた、小さな身体で手術を乗り切った。

ともだち2011/05/25 10:20

先日の電話でYさんがくれた言葉。
「あなたとともだちになれたことが、本当にすばらしいことよ」
同じ言葉をYさんに返せる。

最近は、ともだちなんてつくろうと思って作れるものではないと思う。
かといって、であってしまえば、一緒にいる時間が少なくても
しっかりと心のどこかでつながってるような気がする友人は年も男女も
関係なくできるとも思う。
そして、その友人たちがいることが、どれだけ支えになってくれてるかと、あらためて感じる。

「らいおんはしった」は1981年に発行されたときは、残念ながら
知らなかった。中谷千代子さんのなつかしく、あたたかい、
けれどサバンナの迫力を感じさせる え と、
工藤直子さんのせつなくなるようならいおんとしまうまのやりとり。
こどもなら、引きこまれてしまい、大人の私は
ついつい「うん、いいなぁ、こんな出会い。」とついつい涙してしまう。

私とYさんは、らいおんでもしまうまでもないけれど、
でも、いつまでも大切なともだち。