くろねこジェニーのお話2011/11/12 16:02

まちにまった、ジェニーの復刊。
発売日に担当のお姉さんに、
「ジェニーは入りましたか?」
って聞いて、苦笑されちゃった。
福音館にレビューだしてみました。

http://www.fukuinkan.co.jp/review.php

小さな奇跡~もう一つの小さな奇跡Part32011/07/24 16:56

順序からいうと、Part2なのだけど、
記憶の新しいpart3

1年前にさかのぼる。Gさんの弟、40数年前に
東京女子医大へ手紙を持っていってくれたRちゃんを
かわいがってくれていたおじさまが
急逝し、葬儀は聖公会の病院のチャプレンによって
おこなわれた。故人をしのびチャプレンと話すなか
チャプレンが勤めておられる教会がある病院に心が
動いた。そのときはそれだけの出会いだったのだが、

年があけ、Rちゃんの体調は思わしくなくなってきて
入院退院の繰り返しが続いていた。「2才までといわれた子が
ここまで生きてきたんだから。」と、暗に言われたこともある
が、「このままではいけない。」と祈り求める中
Gさんは、ふとチャプレンのことを思い出し、
お勤めの病院の著名な医師へ紹介をもとめる手紙を書く。
チャプレンにも何かが働き、日本では知らない方はいない
H先生に手紙は届けられ、先生から先天性心疾患の専門医へ
紹介が行く。セカンドオピニオンでもいいと思っていたのに、
気がつけば現在治療にあたっている医師と相談がかわされ、
上京し診察を受けることになった。

医療救急車に寄る、移送、セカンドオピニオンのやりとり
や、医療機器、医療技術、すべては進化していて
その恩恵はRちゃんの成長のために用意されてきたようだった。

小さな奇跡~もう一つの小さな奇跡Part12011/07/24 14:54

私は小さな奇跡とか業とかいう言葉使いすぎ!
でも、ペピーノがヴィオレッタのために奇跡をおこしたように
奇跡としかいいようのない業をなした一人の女性のことを
どうしても記しておきたい。

約50年前、Gさんに女の子の一卵性双生児のRちゃんMちゃん
が誕生した。幸せ一杯ななか影をおとしたのは、Rちゃんが先天性
の心疾患がありチアノーゼや様々の心疾患の症状に苦しみ
「2歳まで生きられないでしょう。」と宣告されたこと。
懸命に子育てや看病を続ける中での母親としての思いは
どんなだったろう?時がそれでもすぎていくなか、
本の小さな雑誌の記事にふと目をとめたのは、東京女子医大で
今では知らない人はいない榊原教授が日本ではじめて心臓の
開胸手術を行ったという内容だった。

Gさんは、そこで手紙を書く。Gさんの弟さんが検査の結果や
手紙をもって、わずかなつてを頼って東京女子医大の榊原教授
に相談にいく。そうして、「覚悟してください。」といわれたが、
Rちゃんの手術は実現する。おそらくは、子どもの手術の症例は
まだヒトケタぐらい、けれどGさんは自分にもたらされた情報を
手紙に真摯に対応してくださった、医師たちを信じた。
Gさんには、東京に何人かの兄弟妹がいて、Mちゃんの世話も
助けあってくれた。

そうして手術は成功しRちゃんは1回目の奇跡により
2才までといわれた、小さな身体で手術を乗り切った。